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よくある質問

日頃の政治活動の中で、市民の皆様からいただく素朴な疑問や質問に答えます。

01

なぜ政治家を目指すようになったの

大学卒業までを故郷で何不自由なく過ごし卒業後に就職のため上京。故郷を離れて生活する中で、故郷の大切さ有り難さに気付き、さらに仕事やそれ以外で付き合う方々が抱くそれぞれの故郷への思いに接するうちに、こんなにもお世話になった故郷に何も恩返しせず深く考えることも無く東京まで出てきてしまったことに悔やむような思いを抱くようになり、さらにこれまでの人生を振り返ったときに、謙虚さも感謝の心も寛容さも無い甘ったれた、まさに自分のためだけの生活をしてきたことを恥じるようになっていきました。
そうして故郷への思いを強くしていく中で、年数回帰省する度に疲弊していく故郷の実情に直面し、言いようの無い焦りを感じながら恩返しの手段を模索すること10年強。その間、脳裏に浮かんでくるのは子どもの頃に駆け回った野原や、暗くなるまで遊んだ川などの風景。そして地域の方々の謙虚さやおおらかさ、感謝の心などの温かい人情。そこに私は日本の原風景を見たような気がします。さらにちょうどその頃に父親に見せてもらった我が家の家系図。私から遡ること六代。160年ほど前、つまり幕末から明治以降の分しか記してありませんでしたが、先祖から連綿と続く縦糸をはっきりと実感することが出来ました。やがて日本らしさ日本人らしさとは何かということを追求するようになり、都会ではそういった日本らしさ日本人らしさが崩れ去ろうとしているという危機感を覚えました。そういった現状を何とかしたいし、少なくとも我が故郷が私が見た都会と同じ道を歩まないようにしなければならないと漠然とした思いを抱いたのもこの時期です。

そういう思いは抱くようにはなっても、大学での研究や企業での設計業務など技術者として働いている立場ではどうしようも無いという気持ちで過ごしていたのですが、ふとしたキッカケで入塾した永田町にある自民党政経塾にて、初めて言葉を交わした同期塾生に「私、政治家を目指しています!」とキッパリ言われて、「誰でも政治を志して良いんだ。」と妙に納得した感覚を覚えました。そうであるならば自分にも役割があるはずだ!と、これまでの我が人生に対する自己反省も含めて思案を重ね、一回限りの人生を己の信念に基づいて燃焼すべく、故郷にて政治の世界に挑む決意を固めました。

02

議員になって何がしたいの?



とことん人づくりをしていきたいと考えています。説明するまでもなく、社会は人が動かしています。その中で生活しているのも同じ人です。教育するのも人なら教育を受けるのも人。技術革新をするのも人。芸術活動をするのも楽しむのも人。自然を壊すのも守るのも人。人、人、人。つまり、全て人なのです。実際に、今の職場でくすぶっている人がたくさんいることだと思います。その人たちが働きやすい環境を提供できるだけで出てくる成果は全然違ったものになるでしょう。では、人々が働きやすい佐賀県とは日本とは世界とは、どういったことなのか?人の問題、制度の問題、文化の問題などなど解決すべき課題はたくさんあるのですが、皆さんと語り合いながらしっかりとした形を見つけて出していきます。また、佐賀県の人だけではできないようなことがあれば、外との連携も必要になります。私はそういった外とのネットワークづくりにも力を注いでいきます。分野によっては外から人を連れてくる、逆に佐賀県から人を外に出して、外との信頼関係を築いていく。そういった次につながる地道な活動を続けていくことも必要です。

そして次世代を担う子どもたちをしっかりと育てたい。故郷や祖国に誇りと愛着を持ち、家族や知人友人を大切に思い、自然や周りの人々に常に感謝し、社会貢献のために自分に何ができるのか考え行動する。そんな大人に育てていきたいと思っています。当然のことながら人は一人では生きていけません。でも、その当たり前のことが軽視されているように思えてならないのが現代社会です。県内に目を向けると、老人クラブや婦人会や消防団やPTAといったコミュニティーが希薄化しています。みんなが健康で元気に暮らしている間は、正直なところこれらのコミュニティーに参加することは面倒臭いと感じてしまうのも事実。しかし、困ったことがあったときや、火災や天災が起きたときなどには、このコミュニティーの団結力または存在の有無が、被害拡大の防止に大きく作用することは、間違いなく断言できること。そういったコミュニティーの補強も人づくりと制度づくりの両面から実現していきたいです。

03

議員って普段は何をやっているの?
 

議会では定例会が3月、6月、9月、12月に開会されます。定例会はだいたい1ヶ月弱の会期です。それ以外の月は各種委員会活動として、市の執行部や教育機関、関係団体との勉強会や情報交換会を開催したり、各種行事に出席したりします。また、議員研修に参加したり、委員会や会派にて行政視察を行なったりすることで議員の資質向上にも努めています。

また、議会活動とは別に、神埼市や吉野ヶ里町を駆け回って住民の皆さんからの意見を頂戴したり、県政レポートを配ったり県政報告会を開くなどの後援会活動と呼ばれる活動もこなしています。

正直なところ、どこまでが仕事でどこからがプライベートなのか分からなくなるほど、全てがつながっていたりして戸惑うこともあるのですが、自分が提言した政策などが実現したときなどは非常にやりがいを感じることが出来る仕事です。

そして、住民の皆様からの要望や意見は膨大なものがあり、その一つ一つに応えようとすればするほど仕事が無限大に広がっているというのも議会議員の仕事の特徴なのかも知れません。

おかげさまで充実した日々を過ごすことが出来ております。

04

これまでどういったことを学んできた?

私が本格的に政治に関わり出したのは、永田町の自民党政経塾に通って政治を学び始めてからです。通い始めのころは自民党は与党(注:入塾2年目に野党に転落)でしたから、講師には現職大臣クラスの先生方に来て頂き、その時の政治情勢や政局の話を裏話を交えながら語って頂く内容を面白おかしく聞いておりました。そのころは、まさか自分が政治に打って出るなど微塵も考えていなかったこともあって、そういった永田町の裏話やノウハウが、とても楽しかったことを覚えています。そして、塾が終わると近所の居酒屋に行って同期の塾生たちと政治談義。安酒を飲ながら天下国家を語るという、単なる政治好きなサラリーマンといったところでした。しかし、そうこうするうちに塾生の仲間たちが選挙に打って出ていくようになり、仲間の応援でいろいろな選挙の手伝いをさせて頂く中で、自分にもそんなチャンスが巡ってくるのかも知れないと考えるようになりました。それからは同じ講座を受けるにしても、裏話やノウハウではなく、その政治家がなぜ志を立てたのか?いまの政治の課題やその裏側に横たわる背景にはどんなことがあるのか?といった、事の本質を掴もうと努めながら聴くようになりました。この政経塾では2年間に渡って、政治情勢の話、政局の話、政治や選挙のノウハウなど、いろいろ学ばせて頂きましたが、今から思えば実はこの「事の本質や背景を掴もうとする姿勢」を学んだことが一番大きかったのかも知れません。

また、林英臣政経塾 政治家天命講座では、日本の神話、皇統、日本の歴史、大和言葉、文明法則史学、東洋思想、政治哲学、武士道精神、といった政治家の背骨となる部分を鍛えて頂きました。そして自分自身としっかりと向き合って、己の原点をしっかりと認識する作業も。技術論ではなく本物の思想をしっかりと身につけていなければ、ふるさとを前に進めていくことは出来ないと考えます。出発点があるから目的地までの道が描けるのです。じたばたと動いてはみたものの、気付いたら「一巡して元の場所に戻っていた。」ということがあってはなりません。

そういった政治思想や哲学についても日夜、仲間たちと議論し合って実践に活かしています。

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